中城
(なかぐすく)

15世紀の中頃、座喜味城を築いた築城家として知られる読谷山按司護佐丸(ごさまる)によって築かれたとされていますが詳細は不明です。既にあった城を増築したしたという説が有力です。中城湾を望む標高150〜160メートルの高台にあり、中城村の西北から北中城村の南側に延びていく丘陵を天然の要害としています。沖縄戦の戦渦を免れたことから、城壁やアーチ門などもっとも遺構がよく残っているグスクの1つです。6つの郭から成り立っています。アーチ式の城門が曲輪ごとに設けられてあるのが特徴となっています。

首里王朝は、護佐丸に勝連城の阿麻和利の防衛拠点として、勝連城と首里城との中間位置に城を築かせたのが、この中城です。その後、王位についた巴志の第七子泰久は、勝連城阿麻和利の甘言に騙され、阿麻和利に護佐丸攻めを命じることとなります。護佐丸は国王軍に抵抗することなく自害、滅ぼされてしまいます。

琉球石灰岩の切石を基本とした城壁は、自然の岩石と地形的条件とを組み合わせ、その描き出された美しい曲線は、芸術的です。

1853年、黒船で来航したペリーは調査隊を派遣し、中城を測量、その建築技術を賞賛したそうです。

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