最終更新日 2003/09/12

南風原陸軍病院跡
(はえばるりくぐんびょういんあと)
1944年(昭和19年)10月10日の空襲によって、それまでの施設が焼失したため、分院のあった南風原の国民学校に移動します。1945年(昭和20年)3月23日に米軍の空襲が本格化すると、看護補助のため多くの女学生が動員されます。戦後、彼女たちは「ひめゆり学徒隊」と呼ばれます。

米軍上陸前に、病院は黄金森一帯に掘られていた30余りの壕へと移動しました。5月22日、首里城地下におかれた第32軍司令部が摩文仁に撤退し、陸軍病院も南部へ移動することになりました。その際、重症患者には青酸カリが配られ、自決が強要された壕もあったそうです。「南風原陸軍病院跡」の碑には「重症患者二千余名自決之地」とありますが、犠牲者の数は明らかではありません。戦争の悲惨さを伝える証として文化財に指定され、現在20号壕(第2外科壕群:重症患者が収容されていたところ。)、24号壕(第1外科壕群:はじめは「ひめゆり学徒隊」の待機所。その後、病室。)の公開に向けて準備を進めているとのことです。2つの壕入り口には説明板がありますが、読み進むにつれ、想像を絶する状況に涙が溢れてきます。あまりにも大きな代償を払って得た平和の大切さを感じることができるところです。



A地点から見た黄金森


B地点から見た黄金森


C地点から24号壕へ


さらに24号壕へ登る


24号壕


24号壕付近の飯あげの道


D地点


20号壕


20号壕付近の飯あげの道


壕からは眼下に沖縄自動車道が見える
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